日本是一个非常注重礼仪的国家,上下等级分明,长幼有序,亲疏有别,因此敬语体系异常发达:在不同场合、对不同对象要用不同的敬语,给予者和接受者所使用的敬语不同,第一、第二、第三人称使用的敬语也不同……这可难倒了不少同学。
了解一个国家的文化,就像开了外挂似的,可以帮助你更好地学习一门语言。日本文化与中华文化一衣带水,日本的节日、饮食、茶道、剑道等,很多都是从中国传过去的,然后慢慢地就有了自己的特色。 比如每年的3月3日是日本的“女孩节”,也叫“桃花节”。这个节日在中国宋代以前是很受重视的,在这一天,人们会洗濯污垢、祭祀祖先。宋代之后,这个节日在中国渐渐消失,却在日本沿袭了下来。只不过,在日本,这一天变成庆祝女孩子健康成长的节日。日本还有个“男孩节”,每年的5月5日,有男孩的家庭都会悬挂起鲤鱼旗,据说是因为中国“鲤鱼跃龙门”的说法。
“日本国概况”“日本社会文化”这些课程,就是帮助我们了解日本文化的。如果你就读的学校与日本的院校有合作,应该还会有机会到日本交流学习,短则一个月,长则一年。我大三的时候就十分幸运地获得了到日本富士常叶大学交流学习一个月的机会。
这一个月里,我和日本学生生活学习在一起,虽然时间很短,但真实的交流让我对日语、对日本这个国家有了深一层的体会,比如前面说过的那些很难使用的敬语。从课本上了解的信息是,敬语的使用很复杂,许多日本人自己都很难正确使用敬语。但事实上,在日本,很多年轻人已经不常使用敬语了,甚至在一些场合使用某些敬语,会被人当成“古人”。
刚到日本时,出于私心,害怕用错敬语闹笑话,与日本同学交流时,我不太用敬语,后来发现,原来大家都不太用敬语!少了敬语,很快就拉近了彼此的距离。想来也是,客客气气地说话多生分呀!当然,少用不代表不用。和老师交流时,还是要恭敬地使用敬语的;在便利店打工时,与顾客交流也要用“です”或“ます”来结句,以示恭敬。
想了解日本社会、时政、经济的,可以看日本放送协会NHK的纪录片;想了解普通百姓的日常生活、文化娱乐的,可以看日剧和综艺节目。另外,学校里一般都会有日籍外教,空闲时候和外教交流交流,能够通过他们了解日本。
一是“日本语能力测试(JLPT)”,这是国际范围内*权威的日语等级测试,测试对象是所有母语非日语的学习者,取得的证书是全球通用的。测试从N1到N5分五级,N1是*高等级。日本的大学在招收外国留学生时,大都要求提交N1证书作为语言水平依据。日企在招收外籍员工时,通常也要求有这个证书。所以,虽然学校对这张证书没有硬性规定,但大家还是会“前赴后继”地去考。
初級レベルでは 形容詞を教えるときには必ず反対の言葉も一緒に教えている。「おおきい⇔ちいさい」や「あたらしい⇔ふるい」のように・・・。そして特に「あつい」と「た かい」はとても重要である。なにしろ「あつい」は「暑い⇔寒い」「熱い⇔冷たい」「厚い⇔薄い」のように三つあり、また「たかい」は「高い⇔安い」「高い ⇔低い」があるからである。漢字で書けば違いや反対の言葉はすぐ分かるのだが、初級では漢字はまだまだ先である。
在初级水平的时候,教形容词一定会把反义词一起教给学生。就像「おおきい⇔ちいさい」(大、小)或「あたらしい⇔ふるい」(新、旧)这样的。特别是「あつい」和「たかい」很重要。不管怎么说,「あつい」存在 「暑い⇔寒い」(热、冷)「熱い⇔冷たい」(烫、凉)「厚い⇔薄い」(厚、薄)这三种形式。另外「たかい」也有「高い⇔安い」(贵、便宜)「高い⇔低い」(高、矮)这两种。用汉字写的话,马上就能明白区别及反义词,但是对于初级水平来说的话,汉字还是后话。
そしてこんな間違いも・・・、「このジュースはさむいです」や「父は背がやすいです」。思わず笑いたくなってしまうのだが、初級の日本語学習者がおかしやすい間違いである。因此就会出现这样的错误。「このジュースはさむいです|这果汁很冷(应该是凉)」や「父は背がやすいです(爸爸的背很便宜(应该是矮))」。令人忍俊不禁,但是这些是初级日语学习者容易犯的错误。
すると「若い」の反対の形容詞は・・・。この「若い」は*初に「若い人」や「田中さんは若いです」などを教える。これを英語に訳すと「young」であり、 当然反対語は「old」になってしまう。すでに「あたらしい⇔ふるい」は勉強しているので・・・反対の言葉は「ふるい人」になる。もちろん「新しい人」の 反対語として「古い人」は使えないことはないが、年配者に向かって「古い人」はとても失礼になってしまう。
这样的话,「若い」的反义词是什么呢?我*初教给学生的是「若い人」(年轻人)和「田中さんは若いです」(田中君很年轻)这些。翻译成英语的话就是「young」,那么反义词当然就是 「old」了。因为已经学过了「あたらしい⇔ふるい」,所以反义词就变成了「ふるい人」。当然作为「新しい人」的反义词,不是不能用「古い人」。但是对年长者这样说的话,是非常失礼的。
残念ながら日本語には人を表す場合、「若い」の反対の形容詞は確かに無い。「どうしてないんですか・・・」と質問されると非常に困るのだが、でもどうして無いのであろうか・・・。很遗憾日语中在表示人的时候,「若い」的反义词不存在。在被问道“为什么没有呢”的时候,会感到非常的为难,但是为什么会没有呢。
これは歳のことはあまり具体的に言わずに「若い」の否定形を使って「若くない人」などというのが、日本語が持つやさしさ、配慮なのであろう。「年取った人」 や「老いた人」など、まして「後期高齢者」などは失礼な感じがするし、これらは形容詞ではない。やはり日本語としては「歳を取ったこと」を形容詞を使って 表す必要はなく、名詞の「お年寄り」などを使うのが無難なのである。这可能是由于日语所特有的温和与顾虑,所以在关于年龄的事情上不具体说明,而是使用「若い」的否定形式,用「若くない人」这样的表达。「年取った人」(上了年纪的人)或「老いた人」(老人),「後期高齢者」(一般指75岁以上的高龄者)等这样的表达都是很失礼的,这些也不是形容词。在日语中没必要用形容词去形容上年纪,使用名词「お年寄り」(高龄者)等就没有问题了。
英語は確かに「new⇔old」、「young⇔old」であり、「an old lady」なども言い方とすればあるようだが、かなり失礼な感じとのこと。やはりどこの言語でもお年寄りに対する配慮は当然あるのであろう。在英语中确实有「new⇔old」、「young⇔old」,也貌似有「an old lady」(一个老女人)这样的说法,不过这让人感到非常的失礼。不论是哪里的语言,对于老年人都会有所顾虑。確かにこの「若い」という形容詞はなかなか難しい。
「若い木」に対して「古い木」などは使えるし、冒頭の「若い番号」なども結構使っている。でもその反対語 は・・・。また「若い実」などはまだ熟していない実のことであり、「君の考え方はまだ若いよ」などはかなりマイナスな意味としても使われる。\这个「若い」的形容词确实很难。「若い木」的对应是「古い木」,文章开头的「若い番号」(数字小的号码)也常用。但是它的反义词却没有。另外「若い実」指的是尚未成熟的果实,它还能作为贬义词来使用,例如「君の考え方はまだ若いよ」(你的想法太幼稚了)。
「先生は体もまだまだ若いですが、教え方も若いですね」などと生徒から言われたら、素直に喜んでいいものか・・・とても悩んでしまう。「先生は体もまだまだ若いですが、教え方も若いですね」“老师还很年轻,但是教育方法很不成熟”,如果被学生这样说的话,我怎么能够坦率地高兴呢,我会非常地苦恼。
日本語教育も中級に入るころから語彙などもどんどん増えてくる。そして学習者も言葉にいろいろ関心が出てきて、こんなことも気になってくる。例えば「丸」には「丸い」、「四角」には「四角い」とちゃんと形容詞があるのになぜ「三角」はないんですか・・である。こんなこと考えたこともなかったが確かに「三角い」とは言わない。「無いから無いの・・・」といいたいのだが、でも確かにちょっと不思議である。日语教育进入中级阶段,词汇会海量增加。这时学习者会更加关注词语,会在意各类情况。比如,“丸”和“四角”都分别有形容词“丸い”和“四角い”,那为什么“三角”就没有呢……我倒是没考虑过此类问题,但是确实不会说 “三角い”呢。很想就回一句“没有就是没有……”,不过确实有些不可思议。
先日もチューターをしている教師養成講座の卒業生から「重いと重たいはどう違いますか」と生徒に質問されてとても困っちゃいましたとのメールが届いた。これもよくある質問で日本語教師にとっては悩めるもののひとつである。こんなことどうでもいいと思うのだが・・・でも学習者にすれば*初「重い」を学んだあと同じ形容詞の「重たい」が 出てくればその違いは何だか知りたくなるのも当然である。我々日本人はこんなことあまり考えたこともないのだが、でも何となく使い分けている。例えばこの 荷物とあの荷物とどちらが重いか単純に比較するようなときはあまり「重たい」は使わず、「どっちが重いですか」のほうが自然な感じが・・・、しかしその荷物を自分が持つとなると「どっちが重たいですか」になるのでは・・・、また「この荷物は重たいから持ちたくない」なども 「重たい」を使うような気がする。やはり日本人は何となく違いを意識して使い分けて いるのであろう。
前些天,一个现任助教的教师培训讲座毕业生发邮件来说被学生问到:“重い和重たい有什么区别?”,自己很是纠结。这是常有的提问,是让日语老师头痛的问题之一。我倒是觉得这类问题无足轻重啦……不过,从学生的角度来说,*开始要学“重い”,之后遇到同是形容词的“重たい”,肯定是会想知道这两个词的区别。咱们日本人很少会考虑这种事情,不过潜意识中还是会区别使用。比如只是单纯比较两件行李哪件更重时不怎么用“重たい”,说“どっちが重いですか(哪个重?)”感觉更自然……可是如果是自己拿行李可能就要用“どっちが重たいですか(哪个沉?)”吧……此外诸如“この荷物は重たいから持ちたくない”等情况也会用“重たい”。日本人果然还是无意识中在区分使用啊。
ではその「違い」は・・・。この「重たい」はよく話し言葉として使われており、確かに 自分の感情を込めて表現しようとする場合に多く用いる。荷物の件もずしりと重みを 感じている気持ちを強調する場合は「重たい」のほうが自然である。するとやはり 「重たい」のほうが「重い」より重いのかも・・・。那么其“差异”是……“重たい”常用在口语当中,多用于表达确实融入了自己感情的情况。比如在强调行李很重时“重たい”更自然。这样看来“重たい”比“重い”更重吧……
そしてこの「重たい」などの「~たい」が付く形容詞を調べてみると「眠たい、冷たい、 煙たい、じれったい、やぼったい、」等いくつかあるが全体的に何となくあまりよくないイメージを表す言葉が多い。確かに「この料理は胃に重たいね」のほうがぴったりする。やはりこの「重たい」は自分の嫌な気持ちを表す表現なのであろう。でもなぜ 「口が重い」や「腰が重い」のような慣用句には「重い」が使われているのか・・・。